オリーブオイルの歴史|古代地中海から小豆島の試験栽培まで

オリーブオイルの歴史|古代地中海から小豆島の試験栽培まで 食の歴史

オリーブオイルの歴史は、少なくとも6000年以上前の東地中海にさかのぼります。古代のギリシャやローマでは食用だけでなく明かりや体の手入れにも使われる暮らしの必需品で、日本では明治時代の1908年に始まった試験栽培をきっかけに、香川県の小豆島で生産が根づきました。

地中海で生まれた油がどのように広がり、日本の食卓に届いたのか、大きな流れをたどります。オリーブオイルそのものの基本はオリーブオイルの基本にまとめています。

オリーブオイルのはじまり

オリーブの木は、地中海東部の沿岸地域で古くから人と関わってきました。考古学の調査では、現在のイスラエル北部のガリラヤ地方で紀元前6000年ごろにオリーブから油をとっていた跡が、ハイファ近くの遺跡では紀元前4500年ごろの搾油の跡が見つかったとされています。オリーブオイルづくりは、少なくとも紀元前4000年より前には始まっていたと考えられています。

エーゲ海のクレタ島も、早い時期からオリーブと深く結びついた土地です。クレタ島では紀元前3500年ごろのものとされる油用のアンフォラ(両取っ手のつぼ)が見つかっており、紀元前2500年ごろからのミノア文明の時代には、オリーブの栽培が盛んに行われていたと考えられています。

こうして東地中海で育ったオリーブの文化を、地中海の各地へ運んだのが、交易と航海にすぐれたフェニキア人だといわれます。オリーブは雨の少ない夏と温暖な冬という地中海の気候によく合い、沿岸の国々に広がっていきました。

古代ギリシャ・ローマとオリーブオイル

古代ギリシャでは、オリーブは特別な木でした。アテナイ(アテネ)の名の由来にもなった女神アテナが、オリーブの木を贈って町の守り神に選ばれたという神話はよく知られています。古代オリンピックの優勝者に贈られたのも、オリーブの枝で編んだ冠でした。

オリーブオイルの使い道は、料理だけにとどまりませんでした。ランプの燃料として夜の明かりをともし、運動のあとに体に塗って手入れをし、薬や香油の材料にもなりました。食べ物であると同時に、明かりであり、化粧品でもあったわけです。

ローマ帝国の時代になると、オリーブオイルは帝国全体で取引される大切な産物になります。とくに現在のスペイン南部にあたる地域は大産地となり、そこから首都ローマへ大量の油がつぼに詰めて運ばれました。ローマ市内には、油を運んだあとに捨てられたアンフォラの破片が積み重なってできた「テスタッチョの丘」が残っていて、当時の消費の多さを今に伝えています。

同じころ、地中海世界ではワインや小麦も暮らしを支える産物でした。ワインの歩みはワインの歴史で、小麦からつくるパスタの歩みはパスタの歴史で紹介しています。

中世から現代へ

ローマ帝国が衰えたあとも、オリーブの栽培は地中海の各地で続きました。地域によって栽培の担い手や規模は移り変わりながらも、オリーブオイルは南ヨーロッパや北アフリカの食文化に欠かせない油であり続けます。

近代以降は、搾油の機械化が進み、大量生産と輸出が本格的になりました。現在、世界最大の産地はスペインで、イタリア、ギリシャ、トルコ、チュニジアなどが主要な産地として続いています。

品質の基準づくりが進んだのも近代の大きな変化です。オリーブ生産国などが加盟する国際オリーブ理事会(IOC)は取引の基準を定め、酸度0.8%以下のエクストラバージンを最上位とする等級を設けています。基準の中身はエクストラバージンオリーブオイルとはで解説しています。

日本にオリーブが来た道

日本で初めてオリーブが植えられたのは幕末のことで、医師の林洞海がフランスから取り寄せた苗木を横須賀に植えたのが最初とされています。明治時代に入ると、政府がフランスから苗木を輸入して育てる試みが行われ、神戸の施設に植えられた木から明治15年(1882年)に実がとれて、国内で初めてオリーブオイルが搾られたといわれています。

本格的な栽培のきっかけになったのが、明治41年(1908年)の試験栽培です。当時、日本は日露戦争後に北方の漁場を得て、大量にとれる魚を油漬けの缶詰にして保存・輸送する道を探っていました。その油を国内で自給しようと、農商務省がアメリカから輸入したオリーブの苗木を、三重県、香川県、鹿児島県の3県で試験的に植えたのです。

3県のうち順調に育って実をつけたのは、香川県の小豆島に植えた木だけでした。明るく温暖で雨の少ない小豆島の気候が、オリーブの故郷である地中海によく似ていたためと考えられています。当時は専用の搾油機がなく、しょうゆを搾る道具などを工夫して油を搾ったといわれ、1913年には国の補助で乾燥場や搾油の設備が整えられました。

小豆島のオリーブと戦後の歩み

小豆島のオリーブ栽培は、病害虫の対策や苗木の育て方、加工法の研究を積み重ねながら広がっていきました。第二次世界大戦後には油が不足してオリーブオイルの価格が上がり、栽培面積も大きく増えた時期があります。

ところが、1959年にオリーブの輸入が自由化されると、安い輸入品との競争が始まります。気象災害も重なって国内の生産は落ちこみ、1970年代以降は栽培面積も収穫量も減っていきました。

流れが変わったのは1990年代です。イタリア料理の人気や健康志向の高まりとともに、家庭でのオリーブオイルの消費が大きく伸び、国産のオリーブへの関心も高まりました。2003年には小豆島の内海町(現在の小豆島町)が、オリーブ振興を目的とした構造改革特区の認定を受けています。オリーブは香川県の県花・県木にもなっており、国内の収穫量の多くを香川県が占めています。

いまでは小豆島のほかにも、各地でオリーブの栽培や搾油に取り組む生産者が増えています。地中海の油は、明治の試験栽培から100年以上をかけて、日本の食卓になじんだ油になりました。毎日の料理での使い方はオリーブオイルの使い方でも紹介しています。

まとめ

オリーブオイルづくりは、東地中海で少なくとも6000年以上前にさかのぼるとされ、クレタ島のミノア文明、古代ギリシャ、ローマ帝国を通じて、食べ物、明かり、体の手入れに使われる暮らしの必需品として地中海世界に広がりました。現在の最大産地はスペインで、品質の基準はIOCが定めています。

日本では幕末から明治にかけて試験的な植樹が行われ、1908年に農商務省が三重、香川、鹿児島で始めた試験栽培のうち、小豆島のオリーブだけが実を結んだことが国内生産の出発点になりました。輸入自由化による落ちこみを経て、1990年代以降の消費の広がりとともに、国産オリーブはふたたび注目を集めています。

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