パスタの歴史をたどる|古代の起源からナポリ、日本に広まるまで

パスタの歴史をたどる|古代の起源からナポリ、日本に広まるまで 食の歴史

パスタの歴史は、小麦の生地をゆでて食べる習慣が地中海の各地にあった古代までさかのぼり、乾燥パスタは中世のシチリアですでに作られていました。「マルコ・ポーロが中国から持ち帰った」という話は有名ですが、それより前のイタリアの記録が見つかっているため、現在では俗説と考えられています。この記事では、起源の諸説から、ナポリでの大衆化、トマトとの出会い、そして日本に根づくまでの流れを順にたどります。

パスタの起源はどこにある?古代の「ラガーナ」と「イトリヤ」

小麦粉を水で練った生地を薄くのばして調理する料理は、古代ギリシャやローマの時代から記録に残っています。ローマの詩人ホラティウスは「ラガーナ(lagana)」という薄い生地の料理にふれており、これはのちのラザニアの遠い祖先とされることがあります。ただし当時のラガーナは揚げたり焼いたりするもので、現在のようにゆでて食べるパスタとは同じものではありません。

「ゆでた生地」の記録としてよく挙げられるのが、3〜5世紀ごろにまとめられたエルサレム・タルムードに出てくる「イトリウム(itrium)」です。さらに9世紀には、アラブの医師イショー・バル・アリーの辞書に、セモリナで作って乾かしてから調理する「イトリヤ(itriyya)」という食べ物が説明されています。乾燥させて保存できる麺の考え方は、アラブ世界で早くから知られていたことがわかります。

なお、エトルリア人の遺跡にパスタ作りの道具が描かれているという話も紹介されることがありますが、それが本当にパスタ用の道具なのかについては見方が分かれています。起源を一つの土地や時代に決めることは難しく、「地中海のあちこちで、似た食べ物が少しずつ形を変えながら受け継がれてきた」と考えるのが実際に近いでしょう。

中世シチリアとジェノヴァ 乾燥パスタの産地と交易

イタリアにおける乾燥パスタの記録として重要なのが、1154年にアラブの地理学者イドリースィーが著した地理書です。そこには、ノルマン人が治めていたシチリア島のトラビアという土地で、大量のイトリヤが作られ、各地へ船で運ばれていたことが書かれています。乾燥パスタは軽くて日持ちがするため、船旅の食料や交易品として都合がよかったのです。

北イタリアの港町ジェノヴァでも、13世紀にはパスタの記録が見られます。よく知られているのは、1279年の遺産目録に「マカロニ」を入れたかごが記されていたというものです。ジェノヴァは地中海交易の拠点で、シチリアなどから運ばれた乾燥パスタが商品として扱われていたと考えられています。14世紀には、ボッカッチョの『デカメロン』にもマカロニやラビオリが登場し、パスタが人々の想像の中でもごちそうとして語られていたことがうかがえます。

マルコ・ポーロ伝説が俗説とされる理由

「パスタはマルコ・ポーロが中国から伝えた」という話は、日本でも長く語られてきました。しかしマルコ・ポーロがヴェネツィアに戻ったのは1295年で、先に挙げたシチリアやジェノヴァの記録はそれより前のものです。つまり、彼が帰ってくる前から、イタリアではすでにパスタが作られ、売り買いされていたことになります。

この伝説が広まったきっかけとしてよく指摘されるのが、20世紀のアメリカです。アメリカのパスタ製造業者の団体が発行していた業界誌『マカロニ・ジャーナル』に、1929年、マルコ・ポーロとパスタを結びつける物語が掲載されました。異国の冒険譚と結びつけることで商品に親しみを持ってもらおうという、宣伝的な色合いの強い話だったと考えられています。中国にも古くから麺の文化があることは確かですが、イタリアのパスタがそこから一度に伝わったという筋書きは、記録の上では支えられていません。

ナポリが「パスタの都」になるまで

中世のパスタは、どちらかといえば裕福な人の食べ物でした。それが庶民の主食になっていくうえで大きな役割を果たしたのが南イタリアのナポリです。17世紀ごろ、ナポリでは「トルキオ」と呼ばれるねじ式の押し出し機が使われるようになり、硬いデュラム小麦の生地を穴の開いた型から押し出して、効率よく麺を作れるようになりました。

人口が増え、肉が手に入りにくかったナポリでは、安く腹持ちのよいパスタが暮らしを支える食べ物になっていきます。屋台で売られるパスタを手づかみで食べる人々は「マンジャマッケローニ(マカロニ食い)」と呼ばれ、ナポリの名物として版画や写真にも残されました。ナポリ近郊のグラニャーノなどは、やがてパスタ作りの町として知られるようになります。

トマトとの出会いと工業化

今ではパスタといえばトマトソースを思い浮かべる人も多いですが、トマトがアメリカ大陸からヨーロッパに伝わったのは16世紀のことで、すぐに食卓に広まったわけではありません。パスタとトマトを組み合わせたレシピが料理書に現れるのは18世紀の終わりから19世紀前半にかけてで、1790年のフランチェスコ・レオナルディの料理書や、1830年代にナポリの貴族イッポーリト・カヴァルカンティが書いた料理書がよく例に挙げられます。それ以前のパスタは、チーズをかけたり、甘い味つけやスパイスと合わせたりするのが一般的でした。家庭で作る基本の一皿についてはトマトソースパスタの記事もあわせてどうぞ。

19世紀から20世紀にかけては、機械による練りや押し出し、人工的な乾燥の技術が進み、パスタは工場で大量に作られる食品になりました。トスカーナのブイトーニのように、この時代に創業したメーカーも少なくありません。またイタリアからアメリカへ渡った移民が、各地にパスタの食文化を持ち込みました。

イタリアでは1967年の法律(法律第580号)で、乾燥パスタはデュラム小麦のセモリナと水で作るものと定められました。デュラム小麦を使う乾燥パスタのこだわりは、こうした法律によっても守られてきたのです。

日本にパスタが広まった歴史

日本でパスタが知られるようになったのは幕末から明治にかけてで、外国人居留地などで食べられていたといわれます。国内での製造の始まりとしてよく挙げられるのが、明治16年(1883年)ごろ、フランス人宣教師ド・ロ神父が長崎の外海(そとめ)で始めたマカロニ作りです。その製造が行われた建物は「旧出津救助院」として残り、国の重要文化財に指定されています。

とはいえ、パスタが一般家庭に広まったのは第二次世界大戦の後です。1950年代半ばにはイタリアから連続式の製造機が導入されて国内での量産が進み、国産のスパゲッティやマカロニが店に並ぶようになりました。同じころ、ケチャップで炒めるナポリタンや、ひき肉のミートソースが喫茶店や食堂の定番になり、スパゲッティは身近な洋食として定着していきます。ナポリタンについては、横浜のホテルニューグランドの料理長が戦後に考案したという説がよく知られています。

1980年代以降はイタリア料理店が増え、「スパゲッティ」だけでなく「パスタ」という言葉や、ペンネやフェットチーネなどさまざまな形が一般に知られるようになりました。種類ごとの特徴はパスタの種類の記事にまとめています。

地方ごとに育ったパスタの多様性

イタリアは19世紀に統一されるまで、多くの国や都市に分かれていました。そのため、パスタも土地ごとの小麦や道具、家庭の手仕事に合わせて、驚くほど多様な形に育ちました。北部のエミリア=ロマーニャでは卵を練り込んだ生パスタが発達し、南部ではデュラム小麦のセモリナと水だけで作るパスタが主流です。

  • プーリア州のオレキエッテは、セモリナと水の生地を指先で引きずって作る耳の形のパスタ
  • アブルッツォ州のキタッラは、弦を張った木枠で生地を切る四角い断面のパスタ
  • ローマで親しまれるブカティーニは、中心に穴の開いた太めのロングパスタ

こうした形の違いは見た目のためだけではなく、ソースのからみ方や食感、作る道具や手間と結びついています。パスタの歴史をたどることは、イタリア各地の暮らしをたどることでもあるといえるでしょう。

まとめ

パスタの源流は古代地中海の小麦料理にあり、乾燥パスタは12世紀のシチリアですでに産業として成り立っていました。マルコ・ポーロが中国から伝えたという話は、彼の帰国より前の記録があることから俗説とされ、20世紀アメリカの宣伝が広めたものと考えられています。17世紀以降のナポリで庶民の主食となり、18世紀末から19世紀にかけてトマトと結びつき、工業化と移民を通じて世界へ広がりました。日本では明治の長崎で製造が始まり、戦後の量産とナポリタンやミートソースの流行で身近な料理になりました。

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