日本のパンの歴史は、16世紀半ばにポルトガル人やキリスト教の宣教師とともにパンが伝わったことに始まるとされます。江戸時代にはほとんど広まりませんでしたが、幕末の「兵糧パン」、明治の木村屋のあんぱんを経て日本人の口に合うパンが生まれ、戦後の学校給食をきっかけに毎日の食卓へと広がりました。
パンの伝来:16世紀、南蛮貿易とともに
1543年、ポルトガル人を乗せた船が種子島に流れ着き、鉄砲が伝わりました。続いて1549年にはフランシスコ・ザビエルらキリスト教の宣教師が来日し、布教が始まります。こうしたポルトガルとの交流(南蛮貿易)のなかで、パンも日本に伝わったとされています。
「パン」という言葉も、ポルトガル語の pão(パン)に由来するといわれます。英語の bread でもフランス語の pain でもなく、最初に伝えた人々の言葉が、そのまま日本語として定着したわけです。
当時のパンは、宣教師や南蛮貿易で訪れる人々のための食べ物で、キリスト教の儀式にも使われました。南蛮貿易で栄えた肥前(今の長崎県)の平戸や長崎では、パン作りが行われていたと伝えられています。
江戸時代:長崎・出島で細々と
江戸幕府がキリスト教を禁じ、海外との交流を制限すると、パンも表舞台から姿を消しました。キリスト教と結びつきの強い食べ物だったことに加え、米を主食とする日本では、もともと日常の食事として根づきにくかったと考えられます。
その間も、オランダとの窓口だった長崎の出島では、そこに住むオランダ商人のためにパン作りが続けられていたとされます。日本人がパンを日常的に食べるようになるのは、まだずっと先のことです。
幕末:江川太郎左衛門の「兵糧パン」
パンがふたたび注目されたのは、軍事上の理由からでした。1840年に始まったアヘン戦争で清がイギリスに敗れると、日本でも外国からの脅威への備えが意識されるようになります。
伊豆韮山の代官で、砲術などの軍学にも通じていた江川太郎左衛門(英龍)は、戦場で持ち歩ける食料としてパンに目をつけました。米を炊くと煙が出て居場所が知られてしまいますが、パンなら火を使わずに食べられ、日持ちもします。江川は長崎でパン作りを覚えた人物を呼び寄せてかまどを築き、1842年4月12日に、乾パンのような固いパンを焼いたと伝えられています。
これが日本人の手による本格的なパン作りの始まりとされ、江川太郎左衛門は「パン祖」と呼ばれています。この日にちなんで、パン食普及協議会が1983年に4月12日を「パンの記念日」と定め、毎月12日も「パンの日」とされています。
開国と明治:横浜のパン屋と木村屋のあんぱん
1858年の修好通商条約によって港が開かれると、横浜や長崎、函館の外国人居留地にパン屋ができ、外国人向けにパンが焼かれるようになりました。横浜では、イギリス人の職人が開いた店で修業した打木彦太郎が、1888年に「横浜ベーカリー宇千喜商店」(現在のウチキパン)を開いています。ホップを使った山型のイギリスパンを一般の家庭向けにも売り出し、日本の食パンの源流の一つとされています。
一方、日本人の口に合うパンを生み出したのが木村屋です。1869年、木村安兵衛が東京・芝に「文英堂」を開き、翌年に銀座へ移って「木村屋」と名を改めました。1874年には、酒まんじゅうに使う酒種で生地を発酵させ、あんこを包んだ「酒種あんぱん」を考え出します。イースト(パン酵母)が手に入りにくかった時代に、日本酒造りの麹から生まれる酒種を使ったことが、日本ならではの工夫でした。
1875年4月4日、明治天皇が向島の水戸藩下屋敷を訪れた際、山岡鉄舟の取り次ぎで、塩漬けの桜の花をあしらったあんぱんが献上されました。これを機にあんぱんの名はさらに広まり、4月4日は「あんぱんの日」とされています。
菓子パンと惣菜パンの誕生
あんぱんの成功のあと、明治から昭和のはじめにかけて、日本独自のパンが次々に生まれます。
| パン | 年 | はじまりとされる店・人物 |
|---|---|---|
| あんぱん | 1874年 | 木村屋(木村安兵衛) |
| ジャムパン | 1900年 | 木村屋(3代目・木村儀四郎) |
| クリームパン | 1904年 | 新宿中村屋(相馬愛蔵・黒光夫妻) |
| カレーパン | 1927年とされる | 名花堂(現在のカトレア)が元祖とよくいわれるが諸説あり |
クリームパンは、中村屋を開いた相馬愛蔵・黒光夫妻がシュークリームのおいしさに驚き、あんの代わりにクリームを包んだのが始まりとされています。カレーパンについては、東京・深川の名花堂の2代目が1927年に実用新案を出した「洋食パン」を元祖とする説がよく知られていますが、ほかの店を元祖とする説もあり、はっきりとは決まっていません。
あんぱん、ジャムパン、クリームパンは「三大菓子パン」とも呼ばれ、パンを「おかずと食べる主食」ではなく「おやつや軽食」として親しむ、日本ならではのパン文化の土台になりました。
戦後:学校給食とパン食の広がり
パンが日本人の日常の主食の一つになった大きなきっかけは、戦後の学校給食です。食料不足のなか、アメリカなどからの援助物資の小麦粉が使われ、1950年には東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸・広島・福岡の8大都市の小学校で、パンとミルク、おかずをそろえた「完全給食」が始まりました。
給食でコッペパンや食パンを食べて育った世代が大人になるにつれ、家庭の朝食にもパンが並ぶようになります。製パン会社の工場で作られる袋入りの食パンや菓子パンがスーパーに並び、パンは手軽な日常食になりました。いまでは、日本の食パンは「一斤」という独特の単位で数えられ、ふんわりやわらかい食感が好まれるなど、独自の進化を続けています。
その一方で、本格的なフランスパンやドイツパン、天然酵母を使ったパンを焼く個人店も増え、パンの楽しみ方はますます広がっています。
まとめ
日本のパンの歴史は、16世紀に南蛮貿易とともに伝わったところから始まり、江戸時代には長崎の出島で細々と受け継がれました。1842年に江川太郎左衛門が焼いた兵糧パン、1874年に木村屋が生んだ酒種あんぱんを経て、ジャムパンやクリームパンといった日本独自のパンが次々に誕生します。戦後は学校給食をきっかけにパン食が全国に広まり、今では食パンから菓子パン、本格的なハード系まで、日本の食卓に欠かせないものになりました。毎日食べているパンにも、こうした長い歩みがあると思うと、少し味わいが変わって感じられるかもしれません。



コメント